(No.9)1月の巨大地震への所懐について – 日本赤十字社 兵庫県支部

事務局長だより

(No.9)1月の巨大地震への所懐について

2025年1月8日 掲載

事務局長 生安 衛

 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 2025年は、へび年であり、復活・再生の年と言われています。脱皮して新たな姿に生まれ変わっていくことがその象徴となっています。こうした意味から、巳年は新しい変化に対して前向きな姿勢をもって挑戦する年にしたいと感じています。

 この再生の年に、本支部では、阪神・淡路大震災30年の節目、大阪・関西万博での赤十字パビリオンの出展、そして、創立150年プロジェクトの作業も本格化しますので、身が引き締まる思いであります。

 さて、毎年1月の寒い時期になりますと、冷え切った被災地に思いを馳せます。自分自身が阪神・淡路大震災を経験していることもあり、気温が低い中での被災者の生活は壮絶であると実感しており、胸が痛みます。

(能登半島地震から1年)

 能登半島地震から、この元旦で発生から1年を迎えました。死者は直接死228人と災害関連死276人を合せて504人、住宅被害は約15万棟に上りました。昨年9月下旬には、復旧途上にあった被災地が線状降水帯による記録的な豪雨にも見舞われました。16人が亡くなられました。改めまして、被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

 今年の元旦、甚大な被害が出た石川県輪島市で追悼式が行われました。私はテレビ放映を通じて、地震発生時刻の午後4時10分に、黙とうをささげて、犠牲者の冥福をお祈りしました。

 能登半島では、昨年の地震と記録的な豪雨に見舞われ、地理的制約や人手不足等が原因で復旧や復興に時間を要し、仮住まいや避難を余儀なくされている方々が2万人を超えていると聞きます。昨年12月下旬には基幹国道が全線開通され、今年、災害公営住宅約3千戸など、恒久的な住まいの整備が本格化する予定です。しかしながら、多くの方々が生活再建の道筋が見えない不安を抱えておられると察します。併せまして、複合災害に見舞われた復旧・復興は、緒に就いたばかりではないかと思います。

 さらに、今も能登半島は地震活動が続いており、気象庁によると、震度1以上が2千回を超えて、昨年6月と11月には震度5弱以上の地震がありました。

 このことから、本支部では、石川県支部や本社からの情報等で状況を把握し、連携して対応できる体制を進めています。また、「複合災害に見舞われた地域をどう支援していくのか」「各支部がどう連携し支援していくのか」が課題でありますことから、近畿地区の6支部間で、昨年実施した能登地震での救護活動に関する検証会を実施し、今年度中に取りまとめる予定にしています。

 また、昨年12月時点で、日本赤十字社に寄せられた令和6年能登半島地震災害義援金は、本県:約1億3千万円(全国:約442億円)、令和6年9月能登半島大雨災害義援金は、本県:約1,500万円(全国:取り纏め中)となっています。

 これらの義援金は、適宜、石川県、新潟県、富山県、福井県が設置する義援金配分委員会へ全額送金しています。引き続きまして、被災地の復興支援のため、義援金の募集を行っております。皆さまの温かいご支援を心よりお願い申し上げます。

 本支部としても、石川県支部や本社と常に連携して、息の長い支援で寄り添いたいと思っています。

<令和6年能登半島地震災害義援金>

 https://www.jrc.or.jp/contribute/help/20240104/

<令和6年9月能登半島大雨災害義援金>

 https://www.jrc.or.jp/contribute/help/20240925/

(阪神・淡路大震災から30年)

 6,434人が犠牲になった1995(平成7)年1月17日の阪神・淡路大震災から30年の節目を迎えます。当時、私は揺れの大きかった神戸市東灘区魚崎に住んでおりました。5時46分の地震発生時には就寝中で、前後左右の強い揺れで目を覚まし、身動きがとれない状況になりました。落ち着いてから、窓を開けると、周辺のマンションは倒れたり、階全体が押しつぶされたりしている光景を見て、驚愕しました。

 その時は、兵庫県庁の地域福祉課に所属し、社会福祉施設関係の仕事をしていました。自転車で出勤し、各施設の被災状況の確認や支援などの調整を行っておりました。数日後、県庁内で様々なプロジェクトチームが立ち上がり、私は義援金の受付窓口チームに配属になりました。県内外から寄せられる義援金を24時間体制で受け取り、日々金額等を公表する業務です。当時は、兵庫県庁として多額の義援金を受け取ったことがなかったので、ノウハウ等はなく、日々チームで協議しながら運営することを繰り返し、手順等をルール化していきました。時には、夜、子どもたちが貯金箱を持ってきてくれたことなどを思い出します。

 また、この大震災では多くの人が家を失い、避難所生活を送らざるを得ない状況でした。避難所に対する多くの職員の支援が求められたことから、義援金の受付チームが落ち着いた頃、私もそちらに移ることになりました。路上や車中で生活されている方を見かけたら近くの避難所へ案内をしたり、炊き出しの調整や生活相談を行ったり、夜間の巡回を行ったことなどが走馬灯のように思い出されます。

 この時、ボランティアの方々の活躍は本当にありがたいものでした。私がいた避難所でも、救援物資の荷降ろし、被災者の方々への配分、炊き出しなど、幅広い活動に自主的にあたっていただきました。避難所の運営のあり方について、再三話し合うこともありました。1995年はボランティア元年と呼ばれています。震災発生後の1年で全国から延べ138万人という過去にない多くのボランティアが駆け付け、様々な支援を行っていただきました。ボランティアへの認識が高まり、社会に浸透した年になりました。数年後、「これからは市民主体の社会づくりが必要だ」と思いまして、ボランティア関係の部署配属を希望したことを思い出します。

 一方、日本赤十字社兵庫県支部では、震災直後から、神戸赤十字病院を中心に、多くの負傷者が運び込まれて、診療等を行うとともに、避難所等において救護活動を行いました。

 北海道から沖縄までの日本赤十字社各支部からの支援を受けて、延べ5,959人にも及ぶ医療救護員による救護活動が行われました(医療救護班981班)。

 避難所等で被災された方々への診療やこころのケアの活動、被災者への救援物資の搬送・配布、赤十字奉仕団等と連携した炊き出し、血液の供給など、総力をあげて人間のいのちと健康を守る活動を行いました。また、日赤の義援金の受付窓口には、260万件、1,000億円を超える善意が寄せられました。

 日本赤十字社では、この災害をひとつの教訓として、30年間、一層の災害救護体制の充実を図ってきたと言えます。

 近年、震災を知らない方が増えています。兵庫県では、大震災後生まれの世代が4分の1を占め、神戸市では経験されていない市民が半数を超えていると推計されています。一説によれば、災害の記憶は30年を境に継承が難しくなると言われています。

 今こそ、あの震災を風化させず、意識を高める取り組みが必要であると感じています。被災された方々の思いや体験は様々ではありますが、そのことを知ることで、人間として生き抜く力を高めるために必要なことが学べるのではないかと思っております。 そのため、本年度は、阪神・淡路大震災をテーマにした青少年赤十字や赤十字奉仕団、会員の皆さまに対する啓発や防災教育などに力を入れて取り組んでいます。

(1.17ひょうごメモリアルウォーク)

 「1.17ひょうごメモリアルウォーク」は、風化しがちな防災意識を新たにするとともに、震災の経験と教訓を発信し、1.17を 忘れずに語り継ぐためのイベントの一つとして、兵庫県庁が中心となって、2001(平成13)年1月から実施されています。

 本支部でも、このイベントに参加しており、歩くイベントの立ち寄りポイントとして、本庁舎1階で休憩所の運営を行ってきました。また、多様な防災啓発ブースが設けられた「交流ひろば」で、地域赤十字奉仕団による炊き出しなどを実施してきました。

 今年の1月17日(金)、ひょうご安全の日のつどいのイベントとしての「1.17ひょうごメモリアルウォーク2025」に600名の方が参加される予定です。

 本支部でも、今年は、阪神・淡路大震災を重点テーマにした取組を行う予定です。例えば、震災時のパネルの掲示や、その頃の防災服などの救護資材の展示、震災直後の状況や救援等の動画放映のほか、温かいみそ汁600食の提供を行います。

 また、なぎさ公園では、地域赤十字奉仕団の皆さまとともに、わかめご飯の提供を行うとともに、大型エアーテントを設置し、中学生・高校生を対象にした救急法講習会を実施いたします。

 震災後30年を迎え、未来を見据える人々の心が一つになるような行事にしたいと思います。そして、これからも「忘れない」「伝える」「活かす」「備える」「繋ぐ」を意識して、震災の経験や教訓を未来へと受け継いでいきたいと感じております。

(ひょうご安全の日のつどい)https://19950117hyogo.jp/gathering/